イエモンことTHE YELLOW MONKEY(イエローモンキー)が再結成することが公式に発表されたようですね。ファンの間ではここの所再結成があるのでは、と噂されていたようですが・・・。

今回はイエモンの再結成の理由や、改めてメンバーのプロフィールの確認、休止中の個々の活動などをまとめていきたいと思います!

イエモンの吉井和哉さんと真鍋かおりさんの疑惑まみれの結婚の記事はこちらです

THE YELLOW MONKEYのメンバーは?

イエモンはメンバー4人のロックバンドです。

吉井和哉さん、菊地英昭さん、廣瀬洋一さん、菊池英二さんの順番でメンバーをご紹介します。

■吉井和哉さん

吉井和哉(よしいかずや)さんは1966年10月8日生まれの現在49歳です。イエモンではボーカルを担当されていて、愛称はロビン(LOVIN)だそうです。なんでロビンなんでしょうか・・・。

ご出身は東京都の北区ですが、静岡県育ちだそうで、最終学歴は静岡市立安東中学校、という説が濃厚です。

イエローモンキーの楽曲はほとんどが吉井和哉さんの作詞作曲だそうですから、歌だけでなく多方向に才能のある方のようですね。

一時期YOSHII LOVINSON名義でソロ活動もされていたようです。

私生活では結婚され、その後離婚。現在はタレントの眞鍋かをりさんとご結婚されています。

このご結婚にはちょっとした疑惑があるようで以前当サイトでも記事をまとめていました。

身長が183センチと長身で、イケメンなので熱狂的な女性ファンが多い方です。

■菊地英昭さん

菊地英昭(きくちひであき)さんは1964年12月7日生まれの51歳、ギター担当です。ドラムの菊地英二さんの実兄でもあります。愛称はEMMAだそうですが、、、これまたなぜこの愛称なのかはよくわかりませんね。

八王子市のご出身で日本大学文理学部応用地学科を卒業されています。

日本大学文理学部の偏差値は48なので、そこそこ頭はいいほうでしょうか。

活動休止中はソロ活動のほか、アーティストのサポートメンバーとしての活動もされていたんだそうですよ。

■廣瀬洋一さん

廣瀬洋一(ひろせよういち)さんは1963年4月19日生まれの52歳で、ベースの担当です。

愛称はヒーセ(HEESEY)。ひろせ、からひーせなのかな、とちょっと愛称がの理由が読めるので、安心する感じですねw

日本大学の経済学部を中退されています。

廣瀬さんというと髪の毛くるくる~というイメージがありますよねw50歳を過ぎた男性にいうのもあれですが、ちょっとかわいい?なんて。

ブログなどを見ると意外にもテンション高めな感じで、親しみがもてるかんじでした。

■菊地英二さん

ドラムの菊地英二(きくちえいじ)さんは1967年6月6日生まれで現在は48歳でしょうか。最年少で、ギターの菊地英昭さんの実弟です。

兄弟で同じ「英」という漢字のお名前なのに、読み方が「ひで」と「えい」なので、個性も主張しつつお揃い感もあるセンスのよいお名前だなあと思います。

中央大学理工学部精密機械工学科卒業です。ご兄弟で理系なんですね。

兄弟そろって長身でイケメンでそこそこ頭がよく、バンドやっててモテるし稼げるなんてすごいですよね!?

愛称はアニー(ANNIE)だそうですが・・・・。

弟なのに「あに」なんかい!!って突っ込んでいいところでしょうか?気になりますね・・・。

それともダジャレなんでしょうか・・・。

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THE YELLOW MONKEYの経歴

1989年結成、1992年にメジャーデビュー。通称イエモン。代表曲は「JAM」「BURN」など。

デヴィッド・ボウイを思わせる中性的なメイクと、吉井の書く言葉遊びを多用した皮肉めいた歌詞、ロックながらも歌謡曲調という独特のサウンドが特徴。
バンドとしてはやや遅咲きで、デビューから3年目の1995年に「太陽が燃えている」が注目されて脚光を浴びる。
1998年には計113本という長期に渡るツアーを行った。
元々楽曲はバンド内のセルフプロデュースだったが、1999年発売の「バラ色の日々」から外部プロデューサーを取り込むようになった。
2001年1月8日に活動休止、2004年7月7日に正式に解散が発表。

ということらしいです。コピペですみません<m(__)m>

管理人、、、そろそろ、、、眠くて。。。←え

いろいろ調べたところ、デビュー後観客動員数はどんどん増えていくのにCDが売れないという謎の現象に悩まされたようです。

熱狂的ファンならCD含めたグッズをたくさん買ってくれるでしょうし、ライトファンならライブ行くよりCD買いますよね?なんでなんでしょう・・・。

楽曲は微妙だけど(←失礼すみません。管理人が微妙だと思っているわけではありません。)ライブは面白いバンド、という見方をされていたのかもしれませんね。

当時まだビジュアル系なども一般的ではなかったようなので、物珍しさもあってライブ動員数が多かったのかもしれませんね。

ライブ動員数はどんどん増えるのにCDが売れないという状況を打破するべく、少々方向性を変えたところ、CDもバカ売れして現在の人気につながったようです。

次のページではなぜ解散したのか・なぜこの時期に再結成されたのか、などを検証しています。